Feb 19, 2021
今日も静岡茶屋でお待ちしています vol.8 静岡生まれのやぶきた【 林夏子・ライトノベル】
今日も静岡茶屋でお待ちしています vol.8 静岡生まれのやぶきた
寒空の下、萌は、静岡県山間部の茶畑の「改植(かいしょく)」に立ち会っていた。お茶の木を抜いた後の畑で、油圧ショベルが土を持ち上げては落とす動作を繰り返している。固くなった土を掘り起こし、根を張りやすくしているのだ。
萌は、油圧ショベルから降りてきた若い生産者に尋ねた。
「一度抜いたお茶の木を、また植えるんですか?」
「この畑のお茶の木は40歳の『やぶきた』です。長い間お世話になったので、1歳の苗に植えかえるんです」
やぶきたは、日本でいちばんメジャーなお茶の品種だ。
”静岡生まれのやぶきた”
「お茶の木は、40歳で引退なんですね」
「いえ、お茶の木は30年から60年使えます」
そう答えたのは、品種専門家の川口史樹氏だ。川口は、大学の研究室や民間企業の研究所で研究を続けてきた植物研究者。杉山彦三郎氏が明治の育種家なら、川口は令和の育種研究家だ。川口は、埼玉県所沢市の品種茶専門店『心向樹』を営む傍ら、各地の茶畑を廻っている。
「まだ使えるのに、なぜ植え替えるのですか?」
「この畑は、せいめいに植え替えるのです。やぶきたは、昭和の高度経済成長期にはライバルの品種からすればトップの品種でしたが、平成に入って優良な品種が次々と生まれてきたんです……」
やぶきたは優れた品種だが、欠点がないわけではなかった。病気に弱い面もあり、生産量と品質を確保するためには農薬が必要とされた。また、高品質な茶づくりのため、窒素肥料を多く投入することも問題となった。
少ない農薬や肥料で栽培しても丈夫で高品質、より収穫量の多い品種を――。公的な研究所の育種研究家や民間の育種家が、理想を求め、長い年月をかけて育成してきた。
「育種では、子ども1万個の中から一番優れているものを選びます。親と比較して、親より優れていなければ、選びません。毎年、世代を繰り返すほど、親を越えていくんです。第1世代のやぶきたから数えて、今は、第4世代です」
そうして誕生した茶の品種は、現在100種類以上にのぼる。やぶきたのひ孫にあたる第4世代の代表格が、きらり31やせいめいだ。
きらり31
2016年品種登録。宮崎生まれ。さきみどりを母親に、さえみどりを父親にもつ。やぶきたよりも摘採期は3日はやい早生品種。収穫量が多い。
せいめい
2020年品種登録。農林水産省野菜茶業試験場生まれ。ふうしゅんを母親に、さえみどりを父親にもつ。やぶきたよりも2日早い早生品種。寒さに強い。
「品種の魅力は、味や香りだけではないんですね」
萌は感嘆した。やぶきた以外の品種を知っていたものの、栽培上のメリットには思い至らなかった。今の世代の弱点を克服し、次の世代に向けて、理想のお茶を求める――育種家は、未来を見据えている人たちだ。川口も、未来をみている。
企業の研究者だった川口が、お茶に出会い、『心向樹』を開業した。お茶屋の店頭に立ち、カフェの厨房でフライパンを振る。産地を廻り、行政や企業とプロジェクトをすすめ、講演やセミナー、執筆もこなす。そんな川口にとって、お茶は「未開拓分野がありすぎて面白くてたまらない」ものだという。
「川口さんがこれからやりたいことって、どんなことですか」
川口の思い描くお茶の未来に、萌は強く興味を持った。
「インターネット上の市場(マーケット)を作りたいですね。誰がどういう品種をどれくらい持っているかをオープンにして、自由に購入できる場所をつくりたい」
「それから、品種の魅力をもっと広めたいですね。『ぼくは、さえみどりのみる芽摘みが一番好きです』と話す小学生がクラスに何人かいる世界になったらいいなって」
「あははは。そこまでいくのは、よほどお茶の知識と経験がないと難しいですよね。あ、川口さんがお好きな品種は、何ですか?」
川口は少し考えて、答えた。
「朝乃香(あさのか)ですね」
数日後、薫の店に立ち寄った萌は、心向樹から取り寄せた品種茶「朝乃香(あさのか)」を持参した。
朝乃香(あさのか)は、1996年鹿児島生まれ。母親にやぶきたを持ち、父親は中国系品種だ。飲んだ後に、ほんのりとマンゴーのような余韻が残る。萌は、パッケージにある「アジアンテイスト」の文字に納得した。
「お茶って、進化しているんですねぇ」
「静岡生まれのやぶきたも、中国系の品種が入れば、こんな香りになるんだね」
萌の言葉に、薫も同意した。
「鹿児島生まれのわたしと静岡生まれの薫さんなら、どんな子どもが生まれると思います?」
「えっ」
薫は飲みかけたお茶をふいた。
「たとえばですよ」
「や、そのまえにいくつかステップが必要なのでは?」
「たとえば……、結婚するとか?」
「や、それより前に」
「お付き合いするとか?」
「それ」
「してみます?」
薫は、はにかみながら、まっすぐ萌をみて頷いた。
「じゃ、お付き合いしましょう」
どきんどきんどきん。萌は、心臓の鼓動を落ち着かせるために、もうひと口、お茶を飲んだ。エキゾチックな朝乃香の余韻が口いっぱいに広がった。
イラスト/yukiko
取材協力/川口史樹(心向樹)
後援/静岡県茶業会議所
※本コンテンツは、川口史樹さんのインタビューを再構成しています。
参考文献:新版 茶の品種(公益社団法人静岡県茶業会議所)
静岡県茶業会議所から直接ご購入いただけるほか、心向樹店頭でもご購入いただけます。(2021年2月17日現在)
品種茶専門店 心向樹 (しんこうじゅ)
〒359-1141 埼玉県所沢市小手指町4-1-18
Tel: (042) 001-6465
FAX:(042)001-6465
今回の記事でご紹介した品種茶は、こちら からご購入いただけます。
著者:林夏子(はやしなつこ)
フリーライター。日本茶インストラクター20期。2017年より静岡県茶業会議所静岡ティーレポーター。「林夏子のはてしないお茶物語」(https://www.hateshinai-ocha-monogatari.com/)を運営。